政治、社会、メディアなどの世界で活動する方を迎えて、その人となりを探るネット対談ライブ番組『ヨロンブス』。
コーディネーターの高橋ヨロンによる対談をお送りします。
記念すべき、第1回のゲストは、橋本岳衆議院議員。
政治家の家庭とはどんなものなのか、という話から始まって、政治家を目指した話、介護政策に向ける思いやネット選挙などについてお話しいただきました。ダイエットについても。
橋下岳(はしもと がく)さんプロフィール
衆議院議員
(当選四回、岡山県第四選挙区選出)
自由民主党 厚生労働部会長
昭和49年2月5日生まれ。
血液型A型。
みずがめ座。
岡山県総社市出身。
総社市民として高校卒業までの
18年間をのびのび過ごす。
父は橋本龍太郎元総理。橋本岳公式ウェブサイト https://ga9.jp/ より
白地に青色のハイビスカスの素敵なアロハシャツで登場してくださいました。
橋本岳さんとは何回かお会いしたことがありましたが、ちゃんとお話したことはなくて挨拶を交わした程度。
色々とお聞きしたいことがあるんですけれど、まず、岳という名前は特別な意味があるのかお聞きしました。
お父さまである橋本龍太郎さんが名付け親で、山・登山が好きだということと、お母さまのお腹にいる時に、エベレストに遠征していたということもあって岳というお名前になったそうです。同じ登山隊の中で、何人か同じような状況の人がいて、何人か岳という同じ名前の子供がその時にいたようです。
「がっくん」ではなく、「がくちゃん」と呼ばれことが多いようです。「がっくん」だと残念な感じがあるからだそうです。
政治家の家庭というのが分からなくて、質問させていただきました。
ヨロンブスの友達のある議員の家庭では、だいぶ荒れていて、お母さんが苦労したそうなんです。その友達の夢は平凡な家庭を持ちたいだったそうです。その話に橋本岳さんも「分かるような気がします」とおっしゃっていました。
小さな頃から政治家が家の中を行ったり来たりしていたり、お父さんが総理大臣でテレビに出ている訳で、そういう家庭で育ったら家ではどうなのだろうかと。
岡山県の地元にずっといましたし、父親が総理大臣になった時は大学4年生だったので、それほどまでではなかった。
父親というのは、週末に帰ってきて日曜日か月曜日に上京する人という認識だった。
普通の家庭と違うところは、時々、父親がテレビに映っていることと、大臣になり各地で演説しているなくらいで、帰って来ればステテコ親父でしたよ。
外野から、「お父さまは家でもポマードをつけていたんですか」の質問に、朝起きてからつけていて、洗面台で頭を整えてから居間に出て来ていましたよ。
橋本岳さんもお父さまの影響なのか、3年前から髪の毛がうざいということと、そのほうがいいという声もあったので髪の毛を固めはじめたそうです。
誰が跡を継ぐのという話題はあったが、5人兄弟の4番目ということで、そんなことを考えていなかったが、いずれはそういう風になるのかなと意識はしていた。5人兄弟は女、男、女、男、女で、橋本岳さんは4番目の次男だそうです。
会社勤めをしながら、大学の教員応募の試験をしたが落ちてしまった。教員試験に受かっていて郵政解散がなかったら政治家にはなっていなかったと思ったそうです。
「選挙カーに乗ると、なんだかワクワクするんですよ」と、選挙になるとアドレナリンが出るそうです。
支援者か本人かでもまた違うそうですけれど。
ダイエットについてもお聞きしました。
身長176cmで70kg台をキープしているそうです。なんで太ったかというと、落選をして辛くて、食べることしか楽しみがなくなってしまったからだそうです。
落選して一番悲しかったことは、クレジットカードを申し込んで落ちた時なんです。
大盛り唐揚げ定食を食べているうちに80キロを超えて、「池中玄太80キロ」になってヤバイなということで、炭水化物ダイエットとベジファーストをはじめたそうです。
「最初の頃のサラサラヘアーが好きでした」とのコメントに、固めた髪に慣れてしまうと逆にサラサラヘアーで外出するのが怖くなってしまったそうです。
ポマードDNAの言葉に、お父さまの橋本龍太郎さんは、ポマードではなくて、ヘアクリームだったと、そして、橋本岳さんはムースで固めているそうです。
尊敬する政治家は、やはりお父さまである橋本龍太郎さんだということです。
同業者になって、仕事を一生懸命していたんだなと あとで、発見するということがあり、目標としているとのことです。
橋本岳さんといえばネット選挙ですが、自民党内でもネット選挙について最初は批判的な意見が多かったので、平井議員と一つ一つクリアしたそうです。また世耕議員により、大変そうだなと思っていた議員さんたちもやらなければいけないじゃないかという風になり、そこから流れが変わっていったそうです。自民党のいいところは良くも悪くも最後には意見がまとまり前に進めていこうというところでしょうか。
介護と福祉に対する思いが強いように思われるのは、印象的な出来事があって、パーキンソン病の患者の方が陳情に来た際に薬が切れて、目の前で身体が動けなくなったのを見て驚き、こんな大変な人に陳情に来させたらいけないとすごく思った。その時、父親がよく言っていた「政治は弱者のためにある」という言葉を思い出し、思い入れが強くなっていった。政治家に取り組んでいく過程でいろんな経験を積んだなかで、しっかり取り組んでいきたいと思った。父親の影響が強かったと思う。
困った人が困らない社会、声を上げなければならない人があげなくてもいいように取り組んで頑張っていきたいそうです。